大学を休学してなかったら今頃最推しを認識してなかったかもしれない
前に出した演奏会レポ本のコラムでも書いたんですが、私が我が最推しヤン・ヴァンデルローストの曲を最初に演奏したのは2017年の夏でした。それ以前にYouTubeとかで彼の曲名を見たことはあったかもしれないけれど、“Jan Van der Roost”という名前をしっかり認識したのはこの時が初めてでした。
実はこの「2017年」というタイミングで、(ほぼ中退前提で)大学を休学していました。
2016年に地元からかなり離れた地方の大学に入学して、前期は何とか通ったのですが、
「授業料免除前提で通ってる(免除されないと経済的にかなり厳しい=一定以上の成績を保たないといけない)」とか、
「気軽に帰省できない」とか、
「そもそも前の年にメンタル壊して正常な判断ができなくなってた」とか
「何もしてないのに隣人が壁を叩いて『うるっせえよ〇〇(私の名字)!』と叫んでくる事件があった」とか
様々な要因で、4か月間でかなり滅入ってしまっていました。
夏季休暇後半に救急車のお世話になり、休み明け初日なんとかオリエンテーションに出るも、そこで「あ、私大学通い続けらんない」と休学を決意したのでした。
あとその1か月後に右ひざを骨折しました。
母の友人の方から、母を通して「〇〇中で顧問やってた先生がうちの旦那とバンドを立ち上げて演奏会やるんだけど、ホルンがまだ全然足りないから、よかったら参加してくれない?」と連絡をいただいたのがその翌年の2017年のこと。私は「大学やめて専門学校入りなおそ」と決めて、大学側のアパートを引き払って実家暮らしをしながらバイトに明け暮れていました。
高2で吹奏楽部を中途退部してから3年はまともに楽器を吹いておらず、自分の楽器をもっていながら「10年は合奏参加しないだろうな~」と思っていた矢先の出来事。バンドを立ち上げた先生には中学時代の合同演奏会で1度指揮を振ってもらったことがあり、彼が顧問をしていた中学校の演奏会にもよく足を運んでいました。
たぶん、どっかのバンドにただ「乗ってくれ」と言われるだけじゃ断ってたと思うんですが、「先生の指揮でもう一回演奏できる」に完全につられた私は「ま、まあリハビリだと思って頑張ってみるか…」と参加申し込みしてしまったのでした。演奏会までの悲喜こもごもは割愛しますが(めっちゃ楽しかった)そこで初めてヤンさんの「アルセナール」を吹いたのです。
アルセナールはすぐに好きになりましたが、この段階ではまだヤンさんの名前を強く意識してはいませんでした。演奏に打ち込む傍ら、バンドのメンバーで吹奏楽詳しい子におすすめの曲を教えてもらったり、「自分でもいろいろ吹奏楽曲調べてみよう」とYouTubeやApple Musicやその他ネットを物色していました。その中でやっぱりヤンさんの名前は沢山見かけるので「何か聴いてみるか」と名前で選んだ「ダンス・オブ・イノセンス」に惚れてヴァンデルローストまっしぐら…という話はすでに何回かしている気がします。
というわけで、もし私がまともに大学に通い続けていたとしたら、地元の演奏会にはまず参加できませんでした。当時「アルセナール」に出会っていなかったら、大学でも吹奏楽団には入っていなかったので、今頃ヤンさんを認識していなかったんじゃないかと思うし、きっとブラスバンドやってないし、こんなに熱心に音楽を聴いてもいなかったんだろうな…と気付いて軽くゾッとしました。大学出てたら今頃何やってたんだろうな。この演奏会が今につながりすぎて何も想像できない。
ちなみに大学では農学系の学部にいたのですが、入りなおした専門学校ではずっとやりたかったイラストと平面デザインの勉強をしていました。農学(というか高校生物・化学)も好きではあったのですが、いつも心のどこかで(イラストの仕事したい)という思いがあって、でもイラストうまい子は他にいっぱいいるし、あと中途半端に成績がよかったのと学費の問題で「イラストの勉強したい!!」とかまるで言い出せない雰囲気に流されて、当時「現実的」だと思っていた範囲で選んだ…という感は今となっては否めないなあと思います。今でも雑草とか好きですよ。
幸い専門を出て就職して、今はデザインのお仕事ができています。イラストも業務内でたまに描いてます。大学を否定したり、休学・退学を勧めたりするつもりは毛頭ありませんが(そもそも今私は大学行きたい)、「まとも(に見えるよう)に」生きること以外は失敗・不正解なんてことは全くないんだなというのがここ5年くらいの実感です。
ヤンさんに出会ってなかったらオランダ語勉強しだしたりすることもなかったしね。(その前に大相撲好きをこじらせて東外大モジュールでモンゴル語やってた期間もありましたがそれも休学後だったな)
ちなみに、休学中に参加した演奏会はこの1回きりでした。演奏会終わってすぐに「来年もやります!」と事務方がホールを確保してきましたが、いろいろ(それ以上はいけない)(いまだ消えぬ古傷)(コロナもまだなかったのに)
自分を今の趣味に引きずり込んだきっかけそのものなので、また同じような企画やってくれないかな…と淡い期待をずーーーーっと持ち続けています。主催の2人がいないと私の中では意味がないから他力本願…(うち1人からは2回目なくなった直後に「もうないかな…」とぶった切られている)
この時の面白い思い出は沢山あるので本当はこのブログでも書きたいなあと思ってはいるんですが、いかんせん古傷が深いというか、未練がでかいというか、まだ自分の中で消化できてなくて、しばらくはむずかしいのかな。ずっと情緒不安定だった自分をこれでもかというくらい元気にして、健康に成人を迎えさせてくれたバンドでもありました。
2回目の演奏会ではスパークのジュビリー序曲とバーンスタインのシンフォニックダンスをやるはずでした。いつかこの2曲を一緒にやる演奏会やりたいですね。