“Trance”の女の子
以前もこのブログでトーマス・ドスのブラスバンド作品”REM-scapes”の記事を書きましたが
今回は同じ作曲者の別のブラスバンド作品”Trance”を取り上げます。
ここ数か月はREM-scapesよりもこっちをよく聴いています。
曲について私から何か説明しようとしても
「美しい」
の5音3文字で大体済んでしまうのですが、
流石にアレなので無い語彙力絞って「こんなところが綺麗だよ!」くらいの文を書きます。
曲の始まりでは、フリューゲルホルンがゆったりと美しく主題を提示します。まるで夢を見ているかのようですが、時折ざわざわとしたノイズがメロディを遮り、だんだんと存在感を増してゆきます。
フリューゲルホルンのメロディが聞こえなくなると曲は一度盛り上がりを見せるものの、なんだか盛り上がり切れずに耳障りな不協和音が重なります。この重なりがまた綺麗。
ようやくサウンドが統一されてゆく音楽。
このあたりのテューバの旋律が本当に綺麗で大好き。
そして明るく輝かしく美しいファンファーレ!この場面はいつ聴いても涙腺が弛みます。祝福されてる。
しかしその明るさも長くは続かず、すぐにファンファーレの音は調子はずれに…
音楽は静かな場面へと切り替わります。
寝息のように安らか、それでいて悲しい歌のようなコルネットとユーフォニアムの音色。
ヴィブラフォンが奏でる主題が優しく神々しい。
バンド全体が一つの頂点にたどり着いて混沌としたハーモニーを奏でると、もう一度静けさが帰ってきて、そのまま曲はダンスミュージックのような雰囲気へ。マリンバとハイハットが効果的に高揚感を演出します。
ダンスの途中で曲は突如輝かしい盛り上がりを見せ、中盤で奏でられた美しいファンファーレが再現されます。
そして堂々としたコラール。
このまま輝かしく幕を閉じるのかと思いきや、ダンスミュージックも再び姿を現します。
ダンスとコラールがもつれ合い、混沌とした様子で音楽は終わりへ突っ込んでゆきます。
ずっと「綺麗だなあ、カッコいいなあ、美しいなあ」と思いながら聴くだけ聴いて曲解説も何も読んでいなかったのですが、先日やっと初めて解説を読みました。
2016 EUROPEAN BRASS BAND CHAMPIONSHIPS The own-choice blockbusters(EN)
大体訳してみますと、
この作品はJ.S.バッハの聖歌「暁の星はいと麗しきかな」(BWV1)を基にしている。
音楽はためらいがちに始まる ―繰り返し止まるオルゴールを想起させるように― ここでは消極的な母親の疑念と恐れによって。
彼女の子宮の中の胎児は母親に向かって静かに叫んでいる。
その声は母親のみに聞こえ、彼女は子どもの誕生の見通しを恐れる。
それと引き換えに、胎児はこれらの疑念や母親の不安を感じながらも、彼女との絆を深めようとし続ける。
心身の叫びの一つひとつで、徐々にある関係性が構築されてゆく。
母親は自分と密接に結びついた別の人間の命を本能的に知覚し、心拍数と現実感を増してゆく。
トランス状態の中で速く、もっともっと速く踊りながら彼女は想像する、
自分の子どもが乳飲み子から大人の人間へと、どう成長していくか…
…そうでないかは、その子が生まれてくるかこないか、彼女の決断次第…
!!!
…そんなお話だったのか……
Tranceの主題になっているバッハの聖歌は、聖母マリアの受胎告知の祝日に歌われる歌なんだそう。
そういう結び付け方だったのか、なるほど…
下のリンクの解説ではより直接的な表現で母親が中絶を迷っている様子が書かれています。
Trance販売ページ-PrestoMusic(EN)
こんなにシリアスな話が背景にある曲だと思っていなくて、いつの間にか曲そのものをそっちのけにして曲解説の”mother”に過剰に感情移入していました。どうしてそうなった。
私の解釈では主人公は20代前半~半ばくらいの女の子。
(解説原文には”mother”って書いてあるけど、「母親」と訳すと自分の母親くらいの年齢の女性を思い浮かべてしまう…)
「彼氏に『妊娠した』と伝えたら連絡取れなくなったのかな」とか、
「『結婚してないのに妊娠!?』なんて言われそうで職場にも言えないよな」とか、
「親にも相談できないよな、もしタイミングよく電話が来ても言えるわけないよな」とか、
誰もそんなこと書いてないし言ってないよ、ということを考えてしまう。
経済的に子どもを育てる余裕もあまりないだろうし、
かといって悩んでぐずぐずしていると胎児はどんどん育っていってしまうし。
胎児は「彼女との絆を深めようとし続け」て、すごいプレッシャーかけてくるし。
「もし自分が妊娠したらどんな感じだろう」と想像したことある女性の方もいると思います。
私も想像してみたことがあるのですが、「かなり怖いだろうな」と思っています。
自分のお腹は日を追うごとに数か月前の面影がないくらい膨らんでいくし、
この世にいなかった人間が自分の内臓の中にいて生命反応を示すし、
数か月前まで「成人してしばらく経ってるけどまだ大人になった感じしないな」なんて笑ってたのに、心の準備ができないまま否応なしに親にならなきゃいけないし、
たとえそれが自分が望んでいた結果だとしても。
望んでいなかった、予期せぬ結果だとしたらなおさら…
ああ、「繰り返し止まるオルゴール」のモヤモヤ感、ちょっとわかる…
“Trance”の解説では、女の子がその後どういう決断を下すのかまでは書かれていません。
いったいどうするだろう。
私がこの続きの作者になれるなら、女の子が「本当は出産したい」と思っている、という前提で、女の子の支援者をどんどん登場させてどうにか産んでもらうと思います(胎児から散々プレッシャーをかけられているので…)。
ただ実際には必ずしもそれがハッピーエンド、とも限らなくて。
ちょっと検索するだけで様々な事例が出てきます。
中絶するかどうか、女性の選択を助ける-SWI swissinfo.ch
「誰にも相談できなかった」予期せぬ妊娠に寄り添う「にんしんホットライン」に寄せられた声-認定NPO法人フローレンス
中絶という、痛み 見過ごされてきた心と体のケア-NHK ハートネット
読んでいると本当にしんどくなってくるのだけど、だからと言って目を逸らすわけにはいかなくて。ちゃんと知っておかないといけなくて。
周りの友人や知人が、いつ「”Trance”の女の子」になるともわからないから…もしかしたら自分がそうなるかもしれない…
Tranceの楽曲解説をちゃんと読まなかったら、そしてこんなに感情移入しなかったら、今後しばらくはこの話題に関心を持つことはなかったでしょう。シリアスなトピックと音楽を関連させることって自分が思っていたより重要なんだな…と思いました。
どうか「”Trance”の女の子」一人ひとりが、できるだけ納得できる、後悔の少ない決断をできますように。